実家の片づけは「親の暮らしを守るため」にしないといけない、その理由

遺された家族のための片づけは本当に必要か

 近年、「親の家の片づけ」がたびたび話題に上っています。TVや雑誌で特集が組まれ、専門書が本屋に並び、「親家片(おやかた)」という造語まで生み出しました。親世代にとっても子ども世代にとっても、かなり身近で興味深い問題であるといえるでしょう。

 

 ところで、一般的な実家の片づけの考え方には、どちらかというと、遺された家族のためにするという傾向があります。例えば、「親亡き後、遺されたモノの片づけは大変なので、本人が生きているうちに片づけさせよう」という、子ども世代に向けての発信であったり、「自分たちが亡くなったあとに遺された家族が困らぬよう、今のうちに身辺整理をするべき」という、親世代に向けての終活アドバイスであったり。

 実際に私自身母亡き後の実家の片づけを経験し、その作業が身も心も疲弊させる大変なものであったことを身をもって知っているので、そのことが間違いであるとは思いません。しかしながら、最初から片づけの狙いをそこに定めることには、かなりの違和感を覚えます。その片づけがもたらす効果は、どちらの世代にとっても、プラスの効果だけではないように思えるからです。

実家の片づけはプラスにならない?

 どういうことか。

 

 例えば親世代にとって、それは生きるためではなく逝くための準備です。いくら「終活」と言葉を変えても、間違いなく死に対しての仕度なのです。もちろん、それも大切な準備ではあるのですが、本人が積極的に取りかかろうとしていない場合、それを他から勧められることは、本人の生きる気力を奪いかねない危険があると心得るべきです。

 

 また、子供世代にとってはどうでしょうか。「あの時片づけさせておいてよかった」と、親亡き後の実家を見て胸をなで下ろせるかというと、私は逆に、片づけさせたことに対する自責の念や後悔が先に立ってしまうような気がしてなりません。

 

狙うのは、いつまでも住みなれた自宅で暮らすことのできる片づけ

 では、子どもが親の家を片づけることはいけないことでしょうか。もちろん、そんなことは決してありません。モノに埋もれた暮らしにくい生活は、さまざまな問題を引き起こす要因となりますから、そこを解消する片づけは必要です。

 

 そこで、まずは片づけの目的をそこにもってくることをお勧めします。つまり、本人がこの先もずっと自宅で暮らせることに狙いを定めるのです。逝くためではなく、「これから先を生きるため」に。親亡き後という未来ではなく、「今現在の親の暮らしため」に。残された家族ではなく、「自分のため」に。

 

 自活が可能なだけの身体能力がありながら、住環境が整っていないことで暮らしが立ち行かなくなり、生活支援を施設入居やヘルパーなどに求める例は少なくありません。自分のことが自分でできなくなるという現実は、その人の気力や自尊心を損なわせ、老いへのスピードを加速させます。

 

 だからこそ住環境を整え、自分の身の回りのことが自分の力でできる暮らしを実現させることが大切なのです。まずは、今を生きるために片づける。その目的で片づけてこそ、多くのプラスの効果が暮らしに生み出されます。その先の片づけは、そこが整ってからでも遅くはありません。